藤堂高虎① 1556-1630
■戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。外様大名。家康の重鎮。
■経歴:滋賀県甲良町出身。北近江の浅井長政に仕える。その後、羽柴秀長(秀吉の弟)に仕え、多くの合戦で顕著な戦功を挙げ、主君からの信頼を得て活躍。秀長が亡くなると、秀吉、家康に仕えた。関ヶ原の戦い(+大坂の陣)で家康の側近として著しい戦功を挙げ、家康の信託を決定的にした。
1608年家康から伊勢国、伊賀国の領主と命ぜられ、初代津藩主となる。最終的には32万3950石の大大名に上り詰めた。晩年も幕府の体制整備に尽力した。(徳川和子まさこ/二代将軍・徳川秀忠の娘を天皇家に嫁がせた。)
■人物像・特技:武術・戦術に秀でたリーダー像。武功(ぶこう)=戦の手柄。度胸がある。
人情が厚く、人を使う術に長けていた。
人並みはずれた大きな体格。
勇猛果敢(ゆうもうかかん):危険や困難を恐れずに、力強く思い切りのよい決断をして行動すること。
築城技術の名手。(家康の命により)膳所城、丹波亀山城、江戸城、丹波篠山城などの築城、修築に貢献。
■実績:
1600年関ケ原の戦いに奮戦し、伊予国今治(いよのくに・愛媛県今治市)20万石の大名となる。
1608年初代津幡に就任。
津の発展(津城の拡張整備と城下町の整備)
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参照
■浅井長政(あざいながまさ、×あさい):織田信長の妹、お市の夫。知勇に優れた美男子と評された。
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■大名とは:もともとは地方で勢力をふるう者(~室町時代)。武士が力を持った14世紀頃からは多くの領地や部下を支配する武士のことを指す。
江戸時代以前は、京都中心に成長した守護大名、各地で自分の領国を統一した『戦国大名』と呼ばれる武士が有名。
1603年(江戸時代)は200人規模の群生を養っていた地方領主のこと。
■石(こく・ごく)とは?:『こく』米の収穫量を表す単位。石高制とは、その土地におけるコメの生産量(×面積ではなく)を『石』という単位で表記したもの。米の生産量=経済規模の指標=今のGDPみたいなものである。石高が高ければ、人を養う力が大きく軍勢規模が大きい。人口が多く、税収も高い。都市規模。1石=150㎏相当の取高=1石(150kg)は、成人男性が一年間に食べるお米の量。1000合。一日2.7合。(ドラム缶1杯ぐらい)つまり百万石は100万人規模の人口、米を生産できる経済力がある、という意味。。32万石は32万人規模の都市。
■江戸時代の石高ランキング。12位。津藩藤堂家約32万石。