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藤堂高通(とうどう・たかみち)1644-1697

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■1644-1697年。江戸時代前期から中期の大名。藤堂高次の次男として津城で生まれる。高虎の孫。伊勢久居藩、初代藩主。あくまで津藩を本藩とした意向に沿って藩政が運営された。

■初代久居藩主

1669年に、津幡第2藩主の藤堂高次(たかつぐ)公が隠居する際に、長男の高久(たかひさ)公を津幡第3代藩主として、次男高通公には5万石を分領して支藩を立てた事から久居藩が日始まった。分家を作ることで、藤堂家の存続と発展を後世まで継続させた。

※公はもともと大臣の尊称として使われ、その後身分の高い人や年配の人を敬って使うようになった。

■久居の由来

野辺野地域の豊かな自然を高通公は気に入り、この地に永久に鎮居(ちんきょ=一定の場所に落ち着く)したい気持ちから『久居』と命名した。

f:id:nztakman:20220220015146p:plain■高通公の功績:

久居の街づくり・久居陣屋。1670年に野辺野の高台に陣屋(じんや=住居および役所の屋敷)を建て城下町を整備した。藩士、商人、職人が住めるように区画整理をし、町方(まちかた)の住民には宅地を無償にして、菜園を与えて町づくりが急速に発展した。寛文の頃は、侍屋敷は約200戸、町家は約500戸まで発展した。

経済政策(おかげ参りの中継地):奈良街道(美里いおの~松阪つきもと・おいわけ)を開拓。京都・滋賀方面、また奈良・大阪方面からの伊勢参拝客や商人を久居経由で行き来させた。文政13(1830年)には、10万人ほどの旅人が城下を往来し、1500人が旅籠(はたご)町に宿泊し、久居は賑わった。

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■特技:

歌道が得意。北村季吟(きざん:江戸時代前期の俳人・歌人)や西山宗因(そういん)を招聘し、文治発展に尽くした。著者に『久居八百五十韻』がある。

■久居八幡宮(1879年~旧野辺野神社)の祭神として祀られている。

 

参照:

https://www.info.city.tsu.mie.jp/www/contents/1576220964494/index.html