織田信長(1534-1582)
1534年尾張国(愛知県西部、小さな勢力)の織田信秀の嫡男として生まれる。戦国時代から安土桃山時代の武将、戦国大名(ビッグ3)。19歳で織田家の家督(かとく)を継ぐ。清州城(愛知県清須市)が居城。⇒その後、岐阜城、安土城(滋賀)。通称:尾張の大うつけ、風雲児
■人柄・リーダーシップ
革新的(新しいものを取り入れる柔軟性や好奇心)。
暴力的・オレ流・自信家・短気・努力家で一本気
趣味は幸若舞(こうわかまい)・相撲観戦
少年期のあだ名は、大うつけ(大ばか者)。
⇒教育係の平手政秀の死(自害)をきっかけに猛省。
反対勢力の弟・信行(信勝)を排除。
政治モットー:天下布武(てんか・ふぶ)⇒武力で天下統一を目指すこと(一説)。
ライバル:斎藤道三(岐阜)今川義元(静岡)など。
■経済政策■:
楽市・楽座(農民に自由に商売を認める制度)特定の豪商人の独占を解体。規制緩和。販売コストや開業コストを下げる。
関所の廃止(物流改革)。国境に設置する通行料を廃止して、流通コストを下げ、自国領内でのビジネス(商売)の拡大と活性化を目指す。安く売り買いできるので、消費者にもメリットがあり。
商人と蜜月:家臣には厳しかった信長は、全国から来る商人には甘く、領地で商売をしやすく支援した。その結果、税金を徴収しやすく、財力を蓄えた。⇒軍備や遠征費にあてる。
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■3つの強み■
1)新しいものを取り入れる度量。:最新の鉄砲の導入。圧倒的な軍事力。キリスタン(西洋文化、西洋の戦術、宗教には無関心)を取り入れ、貿易で物資を取り入れようとした。
2)結束の固い家臣と行動力:清州同盟や秀吉との関係。反対勢力にも屈しない攻撃力。野心家。
3)実力主義:血筋より秀吉が有名なように、その人の能力やスキルを重視してチームを強化。
■裏目に出た性格
謀反(むほん)者が多かった:自分のやり方に背く者には徹底的に罰するエピ―ソードが多く、家臣と絆を強める一方で、その残虐なやり方に不信感を抱く者も多かった。上杉謙信、毛利輝元、三好義継、松永久秀、明智光秀など。
家臣のアドバイスを聞かない⇒ワンマンプレー気味で反発や不信感を招く。
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■4つのエピソード
1)桶狭間の戦い:1560年信長(2000兵)は、当時最大の勢力であった駿河(静岡)の今川義元(25000兵)を討つ。奇襲説、地形説など諸説あり。武勇伝となる。※桶狭間は今の名古屋市緑区。⇒織田信長の名が全国にとどろく。(27歳)
←今川義元
2)鉄砲という新兵器:ヨーロッパから種子島(鹿児島)に鉄砲を輸入し、国内で大量に製造した。銃を揃えて、長篠の戦い(1575年)で、騎馬軍の武田軍に3000丁の銃を持つ織田軍が勝利。
3)仏教勢力との闘い:当時のお寺は武力があり、他の大名を支持する宗派もあった。例:比叡山延暦寺(天台宗)は、旧仏教勢力を支持。⇒1571年比叡山延暦寺(滋賀県大津市)を焼き討ちにする(3000人死亡)。また、伊勢長島の一向宗(浄土真宗本願寺派)と戦う。(20000人焼き殺す⇒残虐な一面あり、生き残るため)
4)本能寺の変:1582年、敵は本能寺にあり。明智光秀諸説あり。天下狙い説、逆恨み説など。
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■信長が好んだ幸若舞の『敦盛』の歌詞
『人間(じんかん、にんげん)五十年、化天(げてん)のうちを比(くら)ぶれば、夢幻の如くなり。一度(ひとたび)生(しょう)を享(う)け、滅(めっ)せぬもののあるべきか』
【解釈】人間界の50年は天界での時の流れに比べれば、まさに一瞬の夢や幻のようなものだ。一度この世に生を享けて、滅びないものなどはるはずがない。
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参照:
https://www.youtube.com/watch?v=HSsT0Q7dQdA
https://www.youtube.com/watch?v=oBJZFOEz3B0
https://www.youtube.com/watch?v=9p5yezRrTGo
https://www.youtube.com/watch?v=bYEEdZY8dqg
https://rekishiru.site/archives/12715
https://souken.shikigaku.jp/1555/