伊賀越え/伊賀街道
■伊賀街道:津から伊賀上野までの50メートルの街道であり、現在の163号線になる。江戸時代に伊賀伊勢津藩の藤堂高虎は、伊賀上野から津に至る街道を2つ作っている。
■伊賀越えとは?:1582年本能寺の変で家康は、堺にいた。当時、織田信長と徳川家康は同盟関係であった(主従関係ではない)。伊賀峠を越えて、岡崎城まで逃げ伊賀出身の服部半蔵が伊賀者や滋賀の甲賀者を集め、堺から家康を一行を守り、伊勢までたどり着いたことから。その後、伊勢から船に乗り、三河に渡った。
■ドラマ
- 長篠の戦い(愛知県新城市)で、織田・徳川軍が武田軍に勝つ。信長は家康に借りができる。⇒安土(滋賀で)接待。京都や堺を見物してきたどうか?
- 本能寺の変:信長の家臣、光秀が謀反(むほん=)(家康は堺で休暇中)
- 家康ピンチ。少数の御供(服部半蔵を含む総勢34名)、同盟であり、光秀は、安土城で接待をした本人であり家康のルート情報も筒抜けであるため、光秀軍にいつ討たれてもおかしくない危機。山中で一揆に襲われる危険もある。自害覚悟。徳川軍、本多忠勝(ただかつ)が『い生き延びて光秀を討つことが最大の供養』と家康を説得。
- 『伸君伊賀越え』:服部半蔵の護衛と情報力で無事に岡崎城まで帰還。足場の悪い山道と当時伊賀には惣国一揆(そうこくいっき)と呼ばれる自治組織が存在していて、いつ一揆がおきても不思議ではない危険区域であった。
家康を救った人物:茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう):京都の呉服商人。土豪たちに銭を渡して家康一行が無事に通過できるように取り計らった。
角屋七郎次郎秀持:伊勢商人。伊勢から三河まで船を手配。
長谷川秀一(織田家の家臣):脱出経路を考えたり、大和国、近江国の国衆への取り次ぎを行い、尾張国の熱田まで家康に同行する。
- この生還に、家康は服部半蔵に恩を感じ、伊賀者を重用している。
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■伊賀のルーツ:もともと東大寺の荘園であったが、荘園領主に対抗する悪党が、技術集団と結びつき、独自の忍術を身に着け住み着いた。伊賀は、『惣国一揆=そうこくいっき』と組織(自治共同体)を作って、かつては大名に抵抗した。
火を巧みに操り、薬草の知識や剣術を持つ。
■霊山(れいざん=伊賀にある山);伊賀忍者の修行の地。古来より豪族の末裔と武士、修験者、渡来人たちの教養と情報集めと、採鉱治金術を持つ技術集団が住み着いた土地。
■甲賀(滋賀)伊賀は薬草の宝庫。薬品の発祥地と言われている。
■伊賀米:伊賀ブランド米。粘土質の沼田と良質な水によって高品質の米が生産できる。
もとは400万年前の琵琶湖の底の土からできている(大山田湖)。
■忍者の暮らし:仕事は各地から情報収集すること(スパイ)。火を操り(のろし、鉄砲、火玉、火矢など)、普段は農民と同じく野良着で山里で田畑を耕す。午前中は家業、午後は技術を磨く。
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■伊勢街道(津―長野峠―伊賀):用途:①参宮旅行(伊勢参り)。➁水産物、塩、綿や種油の往来。
■伊勢別街道(江戸橋―窪田―椋本―楠原(芸濃、石山観音)―関宿)
■伊勢街道―傾斜断面
■長野峠:飛鳥奈良時代から拓かれていた大和と伊勢(神宮)を繋ぐ奈良街道(伊賀街道)のひとつ峠。標高496m。古くから交通の要地として知られる。かつて、急カーブなど危険箇所が多く存在していた。
■峠:山道を登りつめてそこから下りになる場所。山脈越えの道が通る最も標高が高い地点。
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■伊賀上野城(1585年―1871):築城主は筒井定次(つついさだつぐ)、戦国時代から江戸時代前期の武将、大名。伊賀上野藩主。(主君:豊臣秀吉⇒秀頼⇒徳川家康⇒秀忠)。1608年から藤堂高虎が城主。
■安濃津城(1558-1871):築城主は細野藤敦(ほそのふじあつ)、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長野工藤(ながのくどうし)氏=伊勢国に勢力をもった有力族。その後、津藩主の藤堂高虎(外様大名)により発展。
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■荘園:8世紀から16世紀に存在した中央の公家や、寺社、武家などの土地の所有形態のこと。
参照:
https://ameblo.jp/masatochinu/entry-12635199402.html
http://fumikikoba.cocolog-nifty.com/nikki/2019/01/post-6581.html
http://furusato-shinbun.jp/2021/08(椋本千江)
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=66
https://intojapanwaraku.com/culture/76782/