アメリカと中国人労働者の歴史
キーワード:労働力(低賃金から高学歴エリートまで。)、移民法、土着性、雇用の取り合い、治安、偏見差別、奴隷制の名残、アイルランド系白人 VS 華僑、家族を呼び寄せられる永住権、出生地主義
■アヘン戦争(1840-1842):イギリスと清の間で麻薬ビジネスが発端の戦争。
当時、清ではイギリスから密輸されていたアヘン中毒者が増え、社会問題に。清はこれを重く見て取り締まりを強化。この清に態度に反発したイギリスはアヘン戦争を起こす。清はイギリスに敗れて、1842年に南京条約を結ぶ。南京条約の内容は、公行(こうこう:貿易の価格決定の独占)禁止、香港島割譲(かつじょう)、5港開港。
清の政治経済が不安定だったため、大量の『契約労働力』が海外に移住して働く『苦力貿易(クーリー貿易)が盛んになった。移住者の多くが、中国東南沿岸部出身(広東、海南、福建)で、移民先は東南アジア諸国だった。
■望厦条約(ぼうか: 1844):マカオの望厦村で締結された清とアメリカの最初の条約。イギリス、アメリカ、フランスによる中国の植民地化が進む。
■中国人労働者の急増(1840-60)
ゴールドラッシュ(1848-55):金炭鉱の目的でサンフランシスコの金炭鉱により、新興都市に成長。(世界的にはコロラド州やオーストラリア、ニュージーランドと各地で続く。)
金融業、弁護士、不動産業者など人口の急な流れによって様々な職種が発達。
大陸横断鉄道(1869)。インフラが整備される。
この頃、作業着の弱さに目を目をつえけたドイツ移民、リーヴァイストライスが織物販売を始める。
無政府状態だったカリフォルニアではやった者勝ち、失敗は当たり前という寛容な精神が根付く。そして、相手の求めている者を分析して応えた者が金持ちになる。⇒アメリカのビジネス観やチャレンジ精神の根源。
■大不況(1870-1890)と中国人排斥運動:生産過剰により、物価が下落、利子利潤が低下、商工業や金融業者に不況が続く。低賃金で働く中国人は、白人労働者の脅威の存在。さらに、中国人の辮髪(べんぱつ)、中国服、中国語を捨てない(白人に同化しない)態度は、中国人への反発を促した。⇒差別、暴力、攻撃など排斥運動が激化する。
■中国人排斥法 (1882)。アメリカではじめて移民を制限する法律。白人理労働者や労働組合に対する保護政策。
教師、学生、商品、旅行者以外のすべての中国人労働者の入国を禁止。アメリカでの中国人への残虐行為を知った中国本土では、反米の動きが強まる。(反キリスト教運動にも後程、津成ってゆく。)1904年に恒久(こうきゅう)となり、1943年に廃止される。
■第二次世界大戦中(1943)に同法が廃止。戦時下で労働力が不足したため、華人の雇用も増加した。華人の帰化権が回復、一部の軍人には妻を中国からアメリカに呼び寄せることも認められた。
■朝鮮戦争(1950-1953)、ベトナム戦争(1965-1975)でアメリカは中国と敵対し、反共産党ムードが高まり、アメリカ国内の華人に対する監視を強化、台湾国民党の影響力を重視した。
■移民法改正(1965):アジアからの移民が増え、華人がアメリカへ多く流入した。好景気の流れの中で、華人はアメリカで社会で技術的職業に就き、企業をする者も増えた。また、アメリカ人と結婚する華人も増え、よりよい仕事を求めて都会へ移り住むカップルも増えた。
■改革開放政策(1978):経済のグローバル化に伴い、より大勢の中国人が私費留学、就職、結婚などを当して海外に移住。
■米中国交正常化(1979)―開放路線に転換し移民が再び増える。
■中国人留学生保護法(1992)(1989年天安門事件がきっかけ):人道的措置プラス、優秀な理工系人材をアメリカに確保させる狙い。
■サンフランシスコ市長に初の華人系、エドウィン・リー就任(2011)。中華系アメリカ人の社会的地位が向上。
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■南洋出身の華僑:中国東海岸部で浙江省(せっこうしょう)から南部地域のこと。福建省、広東省は海上貿易が発達していたけれど、土地が狭くて住みづらかったので華僑が増えた。華=中国人、僑=仮住まいを表す。移住先でも中国国籍を持ったまま、自らが属する中国人集団への帰属意識が強く、現地への土着性が低い。
華僑は中国大陸を出て海外に移住した強い精神力と行動力がある。ビジネスの勝ち負けにこだわり、生活のすべてが経済が優先。彼らの子供にも、マネー教育を施す伝統がある。金持ちやエリート、中華系財閥の誕生する基盤となった。ユダヤ人とインド人と並んで世界三大商人と呼ばれている。
華僑の分布―全世界約6000万人(2015)。約70%がアジアに移住。シンガポール、マレーシア、タイなど。なぜ東南アジアだったか?A;地理的要因。華僑が中国南部出身であったこと、歴史的に中国の貧困地域がASEAN地域に押し出された事、ASEAN地域が植民地時代に需要があり、現地住民が参入しなかった商業や流通に参入したこと。
参照:
https://www.digima-japan.com/knowhow/world/12177.php
https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3483/
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5638
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4788
http://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/hugeo/37/02.pdf
http://www.agi.or.jp/workingpapers/WP2003-38.pdf