須賀神社
■須賀神社とは:元々は京都の八坂神社の分社。祇園信仰(=牛頭天王とスサノオ神が同体して鎮守されている事)。須賀神社の場合、主祭神はスサノオノミコト(疫病から守る神、激しい性格の暴れ神)とクシナダヒメノミコト(奥さん)。二人が結ばれ平和な世になった事から、縁結び、家内安全、夫婦円満なご利益があるとして人々から親しまれてきた。日本全国に存在し、島根県・高知県に特に多い。明治の神仏分離までは『牛頭天王社』と呼ばれた。
■須賀神社の由来:ヤマタノオロチを退治して、クシナダヒメと出雲国須賀に住み移り、心がすっきりとしていると和歌を詠んだことから。
『吾此地(あれここ)に来まして、我(あ)が御心須賀須賀すがすがし』
『この地にやって来て、私の心はすがすがしい』
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■主祭神:須佐之男命(スサノオノミコト=須賀大神)/櫛名田比売(クシナダヒメ)稲田・豊穣の女神。
■ヤマタノオロチ:日本神話で有名な恐ろしい怪物。頭が8つ、尾が8つ、谷を8つ渡るほど大きな体で、その表面にはコケや杉が生えている(古事記より)。高志(北陸地方)に住んでいるが、年に一度出雲の国にきて、テナヅチとアシナヅチの娘を食べてしまうのである。
■スサノオとクチナダヒメ:スサノオがたまたま出雲を通りがかると、泣く夫婦に話を聞くと、スサノオはクチナダヒメを嫁に貰うことを条件にヤマタノオロチを退治することを約束。夫婦は、スサノオがアマテラスの弟と知りこれを快諾。スサノオは、酒でヤマタノオロチを眠らせて切り付けて退治に成功した。その後、スサノオとクチナダヒメは、出雲に住み子供(ヤシマシヌミ)を授かり平和に暮らした。
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■ルーツ■ 平安時代(疫病が流行)=御霊信仰の始まり
■牛頭天王(ごず・てんのう=:京都の八坂神社の祭神で疫病を防ぐ神。神道ではスサノオ神と同体である。祇園精舎の守護神とされ、この神を祭った場所を祇園と呼ばれる。元々は仏教の神で、祇園精舎(=インドの5大仏教寺院の1つ)の守護神であった。京都祇園の八坂神社(かつての祇園社の祭神)の主祭神で、疫病を防ぐ神(また疫病を広げることもできる両面性)で、神道のスサノオ神と同体であるとされている。出自不明、正体不明。疫病を思いのままに起こし(行疫神)、また疫病から守ってもくれる祟りと恩寵(おんちょう=めぐみ)、両面性のある神である。
分社:本社から神霊を分けて別の神社に鎮めまつること。
■八坂神社(=祇園さん)系:全国に2000以上の分社がある八坂神社。1)同系列(スサノオ神を主祭神)で出雲系の八雲神社、八剣神社、八重垣神社、熊野神社。2)東海・愛知県中心の津島神社、埼玉県の氷川神社、3)江戸時代以前から牛頭天王社と称していた須賀神社。
⇒起源:平安時代の始め頃に都で疫病が流行り、これは政治的に失脚して処刑された人の怨みにより祟りであろうと当時の人は考え、最初はその御霊を祭ることから始まった。怒りは治まらなかったために、より強い神仏が求められ、日本神話でヤマタノオロチ(あらゆる災厄)を退治し、地上に幸いをもたらしたとされるスサノオ神を祭るようになった。
祇園祭とは:869年に京都の八坂神社で疫病除けの祭礼として始まった。
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ):古代インドのコーサラ国の首都修羅―バスティー郊外にあった仏教寺院。祇園ともいう。平家物語の冒頭に『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり』と知られており、海のかなたの仏教の聖地として日本人の古くからの憧れの地である。
祇園信仰(Gion-shinko Faith)とは牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰。
神仏習合(しんぶつ・しゅうごう)とは、日本土着の神祇(しんぎ)信仰(神道)と仏教信仰が融合し1つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象。
The syncretism / Fusion of Shinto and Buddhism
参照:
http://nagisabiyori.com/kiminonahasukajinja
https://www.japanese-wiki-corpus.org/jp/Shinto/%E7%A5%87%E5%9C%92%E4%BF%A1%E4%BB%B0.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B
https://tenki.jp/suppl/kous4/2019/07/07/29247.html
https://www.homemate-research-religious-building.com/useful/shrine_buddha/jinja/jinja08/
おせちとは?
■おせち料理:御節(おせち)とは、『お節供(=せっく節句)』の意味するところからきている。季節の変わり目の祝い事をする日を『節日(せちにち)』と言い、中国の唐の時代の『節=1年を竹のように区切り特別な日』を数えることを日本が倣ったと言われている。その節日の日に神様にお供えする食べ物(神饌物:しんせんもの)を『節供(節句)』と呼んでいた。この節句(せっく)が、御節と変化したのが始まり。
OSECHI are Japanese New Year traditional foods, which are eaten by a lot of Japanese New Year's Day. It includes man y kinds of Japanese traditional foods, and they are packed together in JUBAKO, which is a special box that resembles bento boxes.
■歳神様:新年に各家庭にいらっしゃる歳神(としがみ)さまへお供えし、年が上げてから神様のお下がりとして頂く料理のこと。※歳神様とは、家を守ってくれる神様。元旦に新年の幸せともたらために近くの高い山から降りてくると信じられている。昔の人は、祖先の霊が田の神、山の神、正月には歳神となって子孫の繁栄を見守ってくれると考えた。そのため、人々は歳神様をお迎えしてお祝いする様々な風習や行事が生まれた。
■節日(せちにち)とは、季節の変わり目など祝いを行なう日。せつじつともいう。
■節句(せっく)とは:中国の陰陽五行説を由来として日本に定着した暦。伝統的な年中行事を行う季節の節目となる日。またその時に神様にお供えする食べ物のことも指す。
■日本の五節句:奈良時代に中国から伝えられた。『陰陽五行説』が由来とされており、古くから年中行事を行う節目として大切に扱われてきた。中国から伝来された当初は、節句の種類も多かったが、日本の文化と共に見直され、江戸時代には5大節句が祝日とされた。
1月1日(元旦)⇒のちに7日に変化。中国では奇数が重なる日は、強い陰をなす日として恐れられ、身を清めてお供えをした。
1月7日(人日の節句:ジンジツ)人日とは中国の占いで、『人を大切にする日』という意味。7種類の若菜を入れた温かいスープを飲んで、一年の無病息災を祈る日。
3月3日(上巳の節句:ジョウシ・ジョウミ)中国の風習でこの日に水辺で身体を清め、宴会を催し、厄災(やくさい)を祓っていたことから。日本では人の形を草木や紙でこしらえて、水に流して祓いとしていた。⇒ひとがたがひな人形の始まり。
5月5日(端午の節句)端午の端は、月の初めの午(うま)の日という意味。午とは、中国の旧暦で十二支の寅が1月で始まり、馬が五月。古来中国では、菖蒲(ショウブ)やよもぎを軒(のき)に吊るして邪気を祓っていた。ところが、日本では宮中から武家社会への拡がり、菖=尚武(武道を尊う事)の節句として変遷してきた。武家に男の子が生まれると縁起がいいと祝い広まったのが始まり。鯉は出世する魚(鯉の滝登り)として願かけ。
7月7日(七夕の節句:シチセキ)棚機(たなばた)とは古い時代の日本で、水の神様に秋の豊作をお祈りした行事のこと。棚機津女(たなばたつめ)という女性が、水辺にある機屋(はたや)にこもって、神様のために心を込めて着物を織った。織姫と彦星の話は中国から。
9月9日(重陽の節句:チョウヨウ)一年で最も縁起がよく、不吉な日あるとされ、邪気を祓い無病息災、長寿を願って、時期の菊の香りを移した菊酒や栗ご飯を食べた。
■:中国では奇数を陽数と呼び、縁起がよいとされてきた⇒無病息災、子孫繁栄を願った。一歩緒で、陽数が重なると災いが起こりやすいともいわれ、邪気を払う風習も根付いた。旧暦の9月9日は現在の10月中旬頃で、菊の花が美しく、霊草を信じられ、菊の花を観賞したり、菊の花を漬け込んだ酒を飲んで不老長寿・無病息災を願った。
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参照:
https://www.oisix.com/shop.osechi--cont-imi__html.htm
https://es.aeon-hokkaido.jp/eshop/hanyou?hcd=2019111401
https://kougetsu.co.jp/tangonosekku/tango-iware.html
https://www.kibun.co.jp/knowledge/shogatsu/iware/toshigamisama.html
https://www.ningyo-kyokai.or.jp/mamechishiki/sekku/jinjitsu.html
https://www.jalan.net/news/article/528108/
https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=365
https://www.seigetsudo-honten.co.jp/park/noshiinfo/tangonosekku
黒豆とは 『充実=まめ』
■黒豆とは:表皮の色が黒い豆のことを指し、おせち料理ではこれを醤油と砂糖で甘くに漬けたもの。祝い肴三種の一つ。起源は諸説あるが、室町時代にはこんにゃくと炊いた坐禅豆が作って食べたのが始まりであり、江戸時代後期には、黒豆を炊いて大衆で食されていた(江戸のの八百善・やおぜんが発祥)。兵庫県丹波篠山市の黒豆が有名。
KUROMAME is sweet black soybeans. Eating Kuromame means that you can stay healthy and strong.
■由来・歴史:まめは漢字で『忠実』と書く。もともとは誠実でまじめであるさま。
忠実(まめ):①まじめに良く働くこと。➁怠けずに体を動かして身軽に仕事をすること。例:筆まめ、小まめ、手まめなど。③健康なこと。を指す。
黒豆を食べるのは、語呂合わせの忠実=マメ=豆から。転じて、①『真面目、丈夫、勤労・勤勉に元気に暮らせますように』という願いから。
➁黒い=魔除け。病気を寄せ付けない無病息災の祈りから。
③不老長寿の願いから。
関東:『シワが寄るまで長生きできるように』とシワが寄るまで黒豆を煮る。
関西:『シワがないことを長生きの象徴』とする。どちらも願いは同じ『不老長寿』
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■坐禅豆(ざぜんまめ・ざぜまめ):小粒の黒豆やダイズを甘く煮しめたもの。僧が坐禅をするときに尿を止めるために食べたと言われている。
参照:
https://www.shop.post.japanpost.jp/shop/pages/osechi_iware06.aspx
たつくり(田作り)
■田作りとは?
カタクチイワシの幼魚を乾燥させ、炒って砂糖と醤油とみりんでからめたもの。
『ごまめ』とも呼ばれている。小さい群れを表す『細群こまむれ』が語源。豊作を願って『五万米』と当て字をした。
祝い肴(いわいざかな)の三種の1つとして有名。
※祝い肴三種とは:正月の祝い膳として必ずなければ体栽(ていさい・見た目のこと)が整わない料理のこと。黒豆、数の子、たつくり。
TATSUKURI is candied(砂糖漬) sardines. It is made from dried/roasted baby sardines and sweet soy sauce. Tatsukuri has a meaning of "rich harvest".
■由来:
昔イワシを田んぼの肥料としたところ、大変豊作になり、五万俵の米が収穫できたことから、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の象徴として食べるようになった。
また幼魚を食べることから子宝に恵まれるとも考えられている。
■栄養:
カタクチイワシには、カルシウム、たんぱく質、中性脂肪やコレステロールを低減させ、動脈硬化を予防するDHAが多く含まれる。
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参照:
https://www.shop.post.japanpost.jp/shop/pages/osechi_iware05.aspx
『くださるvsいただく』ビジネス
■くださるといただくの違い。(敬語表現)
課題/例:お礼を言うとき『〇〇をお送りくださり・お送りいただきありがとうございます』
結論:どちらも間違いではないが、ニュアンスが違うので状況に応じて使い分けが要る。
迷ったらビジネスでは、下手に『いただく』を選んだ方が安全。
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■くださる(相手の行為にスポット):『相手が与える、くれる』の尊敬語。
例:社長が(私に)ボーナスをくださった。主語は社長。与える(渡す)側からの観点。
■いただく(自分の行為にスポット):⓵『自分がもらう』『食べる』『飲む』の謙譲語。
例:社長から(私が・私は)ボーナスをいただいた。主語は私。受け取る側が観点。
➁他人から動作をしてもらうこと。例:靴を脱いでいただきます。
■⇒『ボーナスをもらった』事実や意味は同じであり、相手を高めるか、自分を低めるかの
違いだけでどちらも間違いではない。
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■ニュアンスの違い
道を教えてくださった(相手の立場)。⇒聞いてもいないけれど、親切に教えてもらったとき。
道を教えていただいた(自分の立場)。⇒自分から困っていて聞いたとき。
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■くださる(または『お~くださる』のセット):相手に厚意(こうい・思いやり)を受けた感謝の気持ちの意味合いが強い。相手の意志によるニュアンスが強い。
自分が依頼(予期)せずに、相手の意志によってもらった場合
例:道に迷っていたら、通りがかりの親切な人が道を教えてくださった。
帰りに自宅まで送ってくださる/手作りのおもちをくださる/
傘を貸してくださる/貴重な経験談をお話くださる
■いただく:相手に恐縮な気持ち(や厚意を受けた感謝の気持ち。くださるより万能に使える言い回し。
自分が頼んで相手に何かを貰った場合、無理を言って相手にお願いした場合
例:こちらのお越しいただく/事情をご理解いただく/美味しいランチを頂く
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尊敬語:目上の人や自分より立場が上の人を敬い、相手の気持ちを立てる気持ちを表す敬語。自分より目上の他人(家族、親戚ではなく)が主語になる。先生、貴社など。
例:先生がおっしゃる/召し上がる/いらっしゃる(来る)/ご病気/お荷物/〇〇様/
尊=身分は高い、敬=相手を敬うこと。
謙譲語:自分がへりくだることで相手を敬う気持ちを表す表現。主語は自分。
例:弊社/わたくし/わたしども/いただく/参る
丁寧語:相手に対する言い回しを丁寧にすることで、経緯を表すこと。※相手を立てたり、自分を下げたりすることはしない。
例:食べます/できます/お酒/お料理など。主語は自分とも相手とも限らない。
明日は月曜日です/これから学校に行きます/社長がお見えになりました/
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■『いただきますよう、~』
ご検討いただきますよう、お願い申し上げます。
ご承諾(承認)いただけますよう、お取り計らい頂きますよう、
■『いただきたく存じます』
ご検討いただきたく存じます。
■『いただければ幸いです』
ご了承いただければ幸いです。何卒宜しくお願い申し上げます。
参照:
https://allabout.co.jp/gm/gc/458593/
https://www.kokugobunpou.com/%E6%95%AC%E8%AA%9E/%E4%B8%81%E5%AF%A7%E8%AA%9E/#gsc.tab=0
https://career-picks.com/business-yougo/itadaku/
https://lostash.jp/sales/business-skill/1061988
アフォガードとは?
■イタリアの伝統的なデザートでバニラアイスにエスプレッソをかけたもの。
『Affogato』は、イタリア語で『溺れた』という意味。バニラアイスにエスプレッソをかけることで、アイスがあたかも溺れているように見えたことから。
■味:冷たいバニラアイスに熱いエスプレッソをかけることで、アイスの甘みとエスプレッソの苦みが次第に絡んでいき、食べながらいそんな味を楽しむことができる。
参照:
年越しそば Buckwheat new years eve
■年越しそばの由来:
諸説あるが、1) そばは切れやすいので一年の苦労や厄災を断ち切って新年を迎えるという願いから。(他、2)そばは細く長く伸びるから寿命を延ばし、家運を伸ばす願うから説。)願掛け、験担ぎ。除夜の鐘が鳴り始めるまでには食べ終わった方がよい。縁起物なので残さずにきれい頂くのがマナー。
■そばの歴史:江戸時代の中期頃から、健康によい縁起物として全国各地で食べられるようになった。(本朝食鑑:ほんちょくしょっかん:食べ物の研究書)
■ニシンそば:京都の名物料理。淡い色の薄口ダシ汁に、そばとニシンの甘露煮をのせたもの。好みで刻みネギを。上品なだし汁にニシンの脂が溶け出して独特の深いコクが魅力。淡白なそばと、こってり煮込んだニシンの調和が良い。ニシンには良質なたんぱく質、ビタミン、ミネラルが豊富で健康食材であるそばを組み合わせて京都で発明(1882年明治15年、松葉二代目の松野与三吉)されたとされている。江戸時代から明治時代にかけて北海道から大阪や江戸へ物資が運ばれた北前船(きたまえぶね)により、ニシンが本州に輸入された。
■その他の年越しそば。
例:割子(わりご)そば。釜揚げスタイルで、ゆで汁をお椀によそいます。(島根)
越前おろしそば(福井)大根おろしと生醤油で味わう。
わんこそば(岩手)。1人前はわんこ7杯とも。
■ニシン(鰊):別名、春告魚(はるつげうお)、体長30-35㎝。
日本では北海道で獲れる。
Pacific Herring. 冷水域を好む回遊魚。日本では江戸時代ごろから食用されてきた。海外でもオランダ、ドイツなどヨーロッパ各地でも人気の食材である。旬は場所にもよるが10月から3月頃。
■『ニシン』の名の由来・歴史:身欠きニシンを作る時に、身を二つに割る事から、身が二つという意味で、『二身=ニシン』となったのが始まり。卵は、数の子の材料。江戸時代後期から、大量に獲れ、当時の松前藩はコメが取れない代わりに、ニシンの干物、身欠きニシンを年貢として納めていた。干物以外にも、脂を絞り鰊粕として肥料に使い財源として活用された。
⇒物流が発達していない時代、北海道からのニシンの干物が内陸部、山間部にも貴重な食糧源とされた。
■数の子(カズノコ):ニシンの子であるが、ニシンはアイヌの言葉で『カド』。カドの子が訛って、数の子へ。
参照:
https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fish/nishin2.htm